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大阪地方裁判所 昭和48年(わ)2730号 判決

被告人 小黒満江

昭二・九・二九生 無職

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実は、昭和四八年八月七日付(以下書面の日付は「48 8 7付」の如く略記)、48 9 6付各起訴状記載のとおりであるから、これを引用する。

一、よつて先ず被告人が各公訴事実の如き売春をさせることを内容とする契約をしたとされている相手方婦女らの各捜査官に対する供述調書の証拠の許容性について考察する。

(一) 証人神田富江(以下「神田」と略記)の当公判廷における証言(以下この種証拠を「証人某の証言」の如く略記)、同中野百合子(以下「中野」と略記)の証言、証人井之上嘉章に対する証人尋問調書、佐々木優子(以下「佐々木」と略記)の司法警察員に対する48 5 15付供述調書(以下この種書面を「某の48 5 15付員」の如く略記し、検察官、司法巡査に対する各供述調書、抄本を夫々「某の検」、「某の巡」、「抄」の如く略記)抄、佐々木の検抄、昭和四九年九月二四日(以下年月日は「49 9 24」の如く略記)第一三回公判期日(以下「13公」の如く略記)で検察官が49 7 11付証拠申請書により各供述調書の一部を限定して取調請求をし取り調べた佐々木の48 5 15付検の三、四項の一部(以下「某の検限定」の如く略記)、高橋さと子(以下「高橋」と略記)の員抄及び検抄並びに検限定、坂井映子(以下「坂井」と略記)の員抄及び検抄並びに検限定(但し9公で検察官が限定請求し13公で弁護人同意取調)、神田の検限定、久積清恵(以下「久積」と略記)の巡及び検、大城京子(以下「大城」と略記)の巡及び検を総合すれば、48 5 15ホテルシツクスナイン(以下「H69」と略記)へ捜索差押許可状の執行に赴いた井之上嘉章らの警察官により佐々木、中野、久積、高橋、大城、坂井、神田は同日午後八時ないし九時頃同ホテルから参考人として曾根崎警察署に任意同行されたことが認められ(この時刻に関する証人神田の証言は採用しない。)、

(1)  神田は右井之上により同日午後九時過頃から取調を受け翌一六日午前二時三〇分頃供述調書が作成され、取調が終了したこと、その後井之上は神田を同署内の保安係室の椅子で仮眠させたというが、神田に寝室で寝具を与え躯幹を伸ばしてする通常の睡眠待遇を与えなかつたこと、警察官の取調後同女を帰宅させなかつたこと、神田は睡眠できないまま朝食を摂らず、右一六日午前九時三〇分頃検察庁へ同行され、同日午後一時頃から検察官の取調を受け、供述調書が作成されたことが認められ、その終了は夕方近くになつたと推認され、

(2)  中野も同月一五日同署に同行され、同日午後九時過頃から翌朝近くまで捜査官の取調を受け、一六日朝食事の後に、神田らと共に検察庁に同行され、同日午後から検察官の取調を受け、同日午後三、四時頃取調が終り、午後四、五時頃一緒に行つた婦女数名と共に被告人経営の「一番」に帰つたが、その間一睡もしなかつたことが認められ、前記のような通常の睡眠待遇を与えられ、又は警察官の取調後に帰宅させられたとは何れも認められず、

(3) 佐々木の員抄は48 5 15付であるが、調書末尾の作成終了日付は48 5 16であり、同調書の枚数(四五枚)に鑑み、48 5 16午前三時前後に取調が終了したのではないかと推認され、証人神田、同中野の各証言にあるように前記通常の睡眠待遇が与えられず、帰宅もさせられず、同署内に留められたと推認され、佐々木の検抄、検限定を包括した同女の検察官に対する供述を録取した書面は48 5 15付であるが、この日付は明らかな誤記と認められ、神田、中野と同様右一六日午後から検察官の取調を受け、前二者同様同日夕方解放されたと推認され、

(4) 高橋の員抄は48 5 15付であるが、調書末尾の作成終了日は48 5 16であり、その枚数は二九枚であり、神田、中野の場合と同様の経緯で警察官に取り調べられ、前同様の待遇により、同月一六日夕方頃検察官の取調を受け終つたものと推認され、

(5) 坂井の員(三五枚)抄、久積の巡(二五枚)は夫々48 5 15付、調書作成終了日は前同日の記載があるが、前記認定の事情及び同各調書の枚数に鑑み、前叙の如く警察官の取調終了は48 5 16午前〇時を遙かに過ぎていたことが優に推認され、神田、中野同様の経緯待遇で検察官の取調を受けたものと推認され、

(6) 大城の巡は48 5 15付であるが調書末尾の作成終了日付は48 5 16であり、その枚数(三七枚)及び前叙認定の事情に鑑み、48 5 16午前〇時を遙かに過ぎて警察官の取調が終了し、神田、中野同様の経緯待遇で検察官の取調を受けたものと推認され、他に右認定を覆えすに足りる証拠は存在しない。

(二) 次に証人上村正大の証言、山口純子(以下「山口」と略記)の員抄、検抄、検限定を総合すれば、山口は48 6 5ホテル赤坂の捜索をした警察官により同ホテルから南警察署に同行されたこと、同日午後一〇時過頃上司の命を受けた上村正大が山口を取り調べ、翌六日午前三時頃供述調書を作成し終つたこと、従つて山口の48 6 5員の作成終了日は前同日とあるが、枚数は二六枚であることをも考慮すると明らかな誤記と認められること、その後署内の長椅子で休息させたが、前述の如き通常の睡眠待遇は与えられず、帰宅もさせられなかつたことが認められ、夜が明けて検察庁に同行され、検察官の取調を受けたと推認され、他に右認定を覆えすに足りる証拠は存しない。

(三) 更に証人堀部八重子(以下「堀部」と略記)の証言、細原信子(以下「細原」と略記)の員(48 6 27付、作成終了日付48 6 28、二二枚)、48 6 28付検、中津洋子(以下「中津」と略記)の各員(各48 6 27付、作成終了日各前同日とあるが、夫々二九枚、八枚、合計三七枚に達すること及び証人堀部の証言により右各調書の作成終了日は48 6 28と認めうる。)、検を総合すれば、堀部、細原、中津の三名は、48 6 27午後七時頃H69から警察官により曾根崎警察署に同行され、堀部は翌朝近くまで取り調べられ、帰宅させられず、同署内の椅子で一時間位横になつたが、睡眠できなかつたこと、従つて前叙の如き通常の睡眠待遇が与えられたとはいえないこと、同署で48 6 28朝食事の後に、検察庁へ同行され、同庁に滞留後食事抜きで午後から検察官の取調を二時間位受けたこと、その取調の際同女の後方に刑事がいたこと、細原、中津、の取調終了を待つて夕方一緒に帰途についたことが認められ、細原、中津も堀部と同様の経緯待遇で取調を受けたと推認され、右認定を覆えすに足りる証拠は存しない。

(四)  右各認定事実によれば、佐々木、高橋、山口、坂井、神田、久積、細原、中野、大城、堀部、中津の各婦女は、夜間任意同行の名のもとに前記各警察署に連行され、いずれも翌日の午前〇時を遙かに過ぎた丑三つ前後頃まで連続取調を受けたもので、拘束を受けた被疑者―たとえそれが連夜遅く窃盗を累行した常習特殊・累犯窃盗被疑者であろうとも―に対し、右の如き方法により取調を行ない徴した供述証拠は、任意性に疑いのあること明白として証拠となしえないとされるべきものであるところ、佐々木ら本件婦女が深夜まで働き、しかも売春に出たことがある者であつたにせよ、これら参考人に対する取調が被疑者に対するよりも低劣な条件で行なつてよいという合理的理由は全く存在しないばかりか、警察署における取調は、深更なるが故に各自宅に鄭重に送り届けるべきであるのにこれをせず、署内で仮眠を強い、夜が明けても帰宅させなかつたのであつて、拘束された被疑者に対するよりも遙かに苛酷な取調をしたと断ずべく、法曹たる検察官において、警察官の参考人同行という異常極まる事態に対し容易に疑義をさしばさみうるのに拘らず、一片の配慮を加えた形跡だになく、一たん右各婦女を解放し参考人としてあらためて任意出頭を求めて取り調べる常道を採らず、心身共に疲労したことの明らかな右各婦女を前記のように引き続いて取り調べたもので、右各婦女(中野を除く。)の各捜査官に対する供述は任意にされたものでない疑いがあるといわざるをえないのであつて、佐々木の員抄及び検抄、高橋抄員の及び検抄、山口の員抄及び検抄、坂井の員抄及び検抄並びに検限定、久積の巡及び検、細原の員及び検、大城の巡及び検、中津の各員及び検は、弁護人がこれらを証拠とすることに同意をし、一たん取調済となつたけれども、右各供述調書が作成されたときの情況を考慮すれば相当とは認めることができず、右各供述証拠は証拠の許容性を欠くと断定すべきであるからこれらを排除すべく、佐々木、高橋、山口、神田、堀部の各検限定は、刑事訴訟法第三二一条第一項第二号により証拠として一たん取調済となつたけれども、前記認定事情に鑑みれば、当事者に反対尋問の機会を与えなくてもその利益を害しない程度の信用性が情況上保障されていた(わが国の学徒の多くは俗に特信性と称し、供述証拠の証明力の問題と解するが、法の明文にも反し、制度の本質を正解しない謬論である。)とは到底認められないから(信用性の情況的保障の欠如。従つて本件では右信用性の相対的存否を論ずる余地はない。)、いずれも証拠の許容性を欠き排斥せざるをえない。

二、次に安次知虎雄の検限定の証拠の価値について按ずるに、この調書中には、「私は昭和四七年初頃から、これまでの女の子の話しているのを聞いて、女の子が売春して売春代を客からとつていることが判つたが、売春をやめるよう忠告はしなかつた。同年五、六月頃一番のパンマを専属に入れていたH69がヘルスパツクコースという制度を作り、女の子の呼出も多くなり、被告人が高血圧のため入院するので、その頃被告人からその留守中雇入れを求める女の子と面接して雇い入れるよういわれたが、その際必ず電話等で被告人に報告し、その了解をえて採用を決め、女の子と面接のとき私がこれに売春代の歩分けの割合など一番のシステムを説明し、女の子にあとでごたごたが起きないよう必ずパンマの経験の有無をそれとなく聞き出し、経験のないものを断るよういわれた。坂井、神田、久積、細原とは被告人に代り面接し、その各了解をえてパンマとして雇い入れた。坂井とは47 11 11頃被告人の入院中私が面接したが、マツサージクラブで働いた経験があるというので私方店の女の子がパンマとして働いていることを十分承知のうえで来ていることが判つたので、売春代の中から一番のもらう分前の歩のことなど店のシステムについて説明してやり、坂井もそれでよいから雇つてくれというので、翌日被告人の了解をえて採用した。神田とは48 1末頃面接したが、パンマの経験を尋ねると、名前を忘れたマツサージ屋で働いたことがあるというので、パンマとして働くことをよく知つて来たものと判つたので、被告人と神田とを直接電話で話をさせ、被告人も雇うというので、歩の分方など店のシステムを説明した。久積とは48 2中旬頃面接し、パンマとして働いた経験を尋ねると堺の方のマツサージクラブで働いたことがあるというので、パンマとして働くことを十分知つている様子であつたから、歩分け、システムなどを説明して雇い入れ、翌日被告人の了解をえた。細原とは48 4初旬頃面接したが、パンマの経験を尋ねるとあるというので、何もかも承知のうえでパンマとして働く気で来たことが判り、H69のヘルスパツクコースの説明をして雇い入れ、翌日被告人の了解をえた。」旨の記載があるけれども、右四名の婦女にパンマ即ちマツサージをする名の下に売春をした経験を具体的に尋ね答えた事実の記載がなく、マツサージ屋又はマツサージクラブで働いた経歴のあることを聞いたのみで同女らがパンマとして売春をもすべきことを了承したことが判つたという安次知の判断は、その先入観による主観的評価に過ぎず、捜査官において婦女と売春をすることを内容とする契約の具体的やりとりを堅確に質すことを忘れ法的評価の供述を需めるに先走つたものと思われ、右の記載を以て前記売春契約が存在したと断ずるのは飛躍があり過ぎるのであつて、被告人の公判廷におけるマツサージクラブで働いたことがあるかどうか尋ねたのはマツサージの経験がなければマツサージ従業婦として雇えないからである旨の供述は、単なる弁辞としてたやすく排斥することはできないばかりか、排斥されたものを除く本件全証拠によつても右各婦女と被告人との間に売春による対価の歩分けの約定のあつたことは全く認められず、右婦女らとの約定による被告人の得べき金員はマツサージ料金相当分の一部に限られていたことが認められ、被告人はその雇入れ婦女に売春を禁じていたと認められ、証人神田の証言によつても安次知は売春行為につき一言もなく、むしろ被告人からは売春しないよう注意さえ受けており、神田において被告人には内密に独自で売春の挙に出たことがあるに過ぎないと認められるので、安次知の検限定は、これによつて同人が神田らの婦女が売春行為に出るかもしれないと認識予見していたことを認めるに吝かではないけれども、同女らに売春をさせることを内容とする契約をしたことを認むべき資として十分な証拠価値あるものということはできない。

三、次いで被告人の48 9 6付起訴状記載第一の公訴事実の証拠として取り調べた同人の捜査官に対する各供述調書の証拠価値につき検討するに、

(1)  被告人の48 7 30付員には、「私は応募してきた女に売春して働くことを納得してもらつたうえで雇い入れ、ホテルでつけてもらう客相手にその女らが売春し、売春料の中からマツサージ料金名義で決めていた金額を店に入れてもらう方法で商売を続けていた。」旨の記載があるが、その直後に「しかし女に売春を強制したことはなく、売春して働いてくれることを知つていながら女の自由にまかせ、売春のことは知らぬ振りをしていた。」旨の記載があつて、供述の内容は実質的に矛盾しているのみならず、証人佐々木、同高橋、同神田、同中野、同堀部、同山口の各証言によつても被告人はその雇用した婦女らに売春することを禁じていたことが認められ、少くとも売春するようにあえて仕向けたと断ずべき事跡がないと認められる(本件証拠上、要売春時間と要マツサージ時間との間に長短格段の逕庭あるものと認めえず、売春の需めに応ずるが故にマツサージ料金相応分の被告人の収入が飛躍的に増大したとはいえない)ので、この認定事実をも考慮すると、被告人はその雇い入れた婦女にマツサージ師免許の資格がなく、同女らが売春行為に出ることがあるかもしれないことを認識予見していたことは認めることができても、これを認容したとはたやすく断じえず、右婦女と売春をすることを内容とする契約をしたことを認むべき証拠としては、証拠価値は不十分といわなければならない。

(2) 被告人の48 8 2付員には、「48 11 10前後頃当時私は加納病院に入院していたが、安次知が私の営業方針に従つて坂井を雇い入れ、雇入れの日か翌日に安次知が病院に連絡に来てこんな女を雇つたと報告し了解した。」旨の記載があるが、坂井との間の売春契約の具体的内容については何らの記載がなく、その直後に忽然として「坂井をパンマとして雇い入れたことは間違いない。」旨の記載があるものの、その間の脈絡を欠き右三(1)記載の証言から認定される事実をも勘案すると、被告人が坂井と売春をさせることを内容とする契約をしたことを断ずる資としては証拠価値十分とはいい難く、神田に関しては「48 1末頃私の留守中安次知が私の方針に従い面接したが、同日自宅に安次知から電話があり、直接神田と話すと、是非働かしてほしいというので、H69専属でなく外廻りでよければと条件をつけると、それでいいというので安次知に外廻りということで働かそうと告げ、売春婦として雇つた。」旨の記載があるが、前同様売春をさせる契約に関する具体的事実の記載を欠き、「本人を売春婦として雇い、本人も売春して働くことを納得し働いてくれるようになつた。」旨の記載との間の脈絡がなく、前記同様、神田と売春をさせることを内容とする契約をしたことを認定する資としては証拠価値十分ということはできない。

(3) 被告人の48 8 3付員には、「48 2中旬頃安次知が私に代り久積と面接し雇い入れ、翌日一番で同女と会つた際同人に頑張つてねと声をかけ、三番と呼名をつけホテル廻りをしてもらうことにしたが、私がパンマとして雇い入れたことに間違いない。次に48 4初頃私の留守中安次知が細原と面接し雇い入れたが、細原も売春することを承知のうえで働いてくれるようになつた。」旨の記載があるが、何れも前同理により久積、細原と夫々売春をすることを内容とする契約をしたことを認むべき証拠としては、その価値十分とはいえない。

(4)  被告人の48 8 15付検、48 9 5付検も右と同旨の記載があるが、何れも前同様の理由により神田らの婦女と売春をすることを内容とする契約をしたことを認むべき資としては、その証拠価値は不十分といわなければならない。

四、以上の事情に加えるに、坂井、久積、細原に関する同人らの供述証拠がないことを勘案すると、関係証拠を総合して考察しても、48 9 6付起訴状記載第二の各公訴事実については、被告人が安次知と相談して同各事実記載の各日場所で坂井、神田、久積、細原をマツサージ師の資格がないのにその名目で雇い入れたこと、神田が自らの意思で同女の負担と計算により売春をしたことがあることは認めうるけれども、同公訴事実の如き坂井、神田、久積、細原と同女らに売春をさせることを内容とする各契約をしたとの点は何れも未だ疑いの域を出ないのであつて、これらの証明は不十分というべきである。

五、次に48 8 7付起訴状記載の各公訴事実及び48 9 6付起訴状記載第二の各公訴事実について考察するに、被告人の各捜査官に対する同各公訴事実に関する供述調書の証拠の許容性は否定されないけれども、

(1)  大城、中津に関する各公訴事実については、この点に関する被告人の捜査官に対する各供述調書の証明力につき判断を加えるまでもなく、これを認めるに足りる補強証拠がなく、

(2)  佐々木、高橋、山口、中野、堀部にかかる各公訴事実に関する被告人の各捜査官に対する各供述調書は、前記三、記載と同様の理由により証拠価値十分とは認め難く、これらに証人佐々木、同高橋、同山口、同中野、同堀部の各証言及びその余の関係証拠を総合して考察しても、被告人が佐々木、高橋、山口、中野、堀部を同女らに関する公訴事実記載の各日場所で同女らがマツサージ師の資格がないのにその名目で雇い入れたこと(但し堀部は被告人の娘西村照子を介して雇入)、佐々木ら五名の婦女が自らの意思で同女らの負担と計算において売春をしたことがあることが認められるにせよ、同公訴事実の如き同女らに売春をさせることを内容とする各契約をしたことは何れも未だ疑いの域を出ず、裁判所をして同各公訴事実にかかる犯罪の成立を確信させるには至らない。

よつて本件各被告事件については、何れも犯罪の証明なきに帰するので、刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をすべく、主文のとおり判決する。

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